国道238号線を走り、猿払村をさらに南下。
付近山側は鬼志別演習場があるため、通行禁止の標示が所々に見られます。

そこを流れる川の名は「自衛隊川」…そのままですね。

猿払から浜頓別まで、国道に沿う形で全長21.3kmのサイクリングロードが整備されています。
この北オホーツクサイクリンロードは、1989年に廃止になったJR北海道の天北線廃線跡を利用したもの。

しかし、熊が出没しているようで、現在は通行止めのよう。

サイクリングロード脇には、天北線の駅跡が残っている所もあります。
こちらは飛行場前駅跡。笹に埋もれた木造のホームと駅標の枠が確認できます。

飛行場前駅の名は、国鉄民営化に伴い改名されたもので、旧駅名は「飛行場前仮乗降場」。
周辺は、今は牧草地が広がる北海道ではよくある景色ですが、太平洋戦争時には、ソビエト防衛を目的として建設された浅茅野第1飛行場がここにあったことから、この駅名が付いています。

コンクリート製の橋脚跡。
天北線から飛行場までの引込線に使われていたものとの説もありますが、定かではありません。

門柱跡。

奥に小さく見える針山のようなものは、水槽の支柱跡。
雑草が生い茂っていて、道路から撮影したため、見にくい画像になってしまいました。

少し離れた所には無蓋掩体壕(天井の無い爆風や破片を除ける土堤のみの簡易的な掩体壕)の跡が確認できます。

高い位置から見ると、コの字型になっているのが確認できます。
私有地、かつ牧草地であるため、無断立ち入りは厳禁。

もう一つの浅茅野第2飛行場は、ここから30kmほど北方向、前回紹介した道の駅「さるふつ公園」がその場所になりますが、現在は痕跡はありません。

原野を開拓し、飛行場を建設するために使われた労働力のほとんどは、朝鮮半島から強制連行された人達で、その数は2000人超。不衛生な労働環境での重労働を強制され、感染症の流行や監視者による暴行で数百人が亡くなったと言われています。

多くの犠牲者を出し、完成までに数年を要した浅茅野飛行場でしたが、第1飛行場、第2飛行場とも、完成後まもなく終戦となったため、ほとんど使われることなく閉鎖されました…。

(続く)