神奈川県横須賀市にある夏島は、かつては東京湾に浮かんでいた標高52mの島で、1918年(大正7年)に周辺の海が埋め立てられ陸続きとなりました。冬でも雪が積もらないことから夏島の名が付いたとされています。
2014年(平成26年)に撮影された航空写真で見ると、工場等に囲まれた中央の緑の部分が夏島になります。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
夏島は横須賀市の管理地となっており、普段は入口は施錠され一般の立ち入りが禁止されています。
内部を見学したい場合は、地元NPO法人のガイドツアー等に参加することになります。
島の南東の標高45mの斜面に2カ所ある貝塚(貝殻や生活廃棄物を捨てたゴミ捨て場)。
縄文時代早期から前期にかけての遺跡で、米軍から返還された1972年(昭和47年)に島全体が国の重要文化財に指定されています。
明治時代には、東京湾の防衛のために造られた東京湾要塞の一部として夏山にも砲台が設けられました。
砲台施設の一部は遺構として残っています。
こちらは煉瓦造りの弾薬庫。
上部にあるコンクリート製の構造物は弾薬庫の通風口。
2つの弾薬庫を挟む位置にある砲座跡。
大砲を固定するためのボルトが基礎からいくつも出ているのが確認できます。
電灯所へ続く煉瓦壁の通路。
単弁桜の刻印は、小菅集治監で焼かれた煉瓦の証。
太平洋戦争末期には、横須賀海軍航空隊基地の緊急戦備施設として上下3層からなる地下壕が造られました。
最上層は標高42m付近に坑口がある小規模な地下壕。
どのような用途であったかは不明で、人員待避壕だったとの説もあります。
最上層の坑口。
最上層はすべてこのように塞がれているそうです。
中間層は、標高20m付近に坑口があり、碁盤目状に掘られていて事務所や居住用に使用されていたと推測されています。
西側坑口から見ると、奥の東側坑口側に貫通して光が差しているのが確認できます。
最下層は、軍用機を格納するための大型掩体壕の建設が進められていました。
野島の掩体壕と合わせて100機の航空機を格納する計画でしたが、完成予定だった昭和20年8月末を前に終戦となりました。
最下層には、大型掩体壕の他に連絡通路や倉庫、魚雷庫、主計課倉庫、ポンプ室、爆弾庫等も造られました。
こちらは倉庫へ通じる坑口。
興味のある方は横須賀市にお問い合わせを。