斜里町
越川橋梁、根北線

斜里町と標津町を結ぶ国道244号線を走っていると、根北峠の少し斜里側(北側)に道路を横切る形で建っているコンクリート製の造形物が目に止まります。越川橋梁は通称名で、正式名称は「第一幾品川橋梁」。旧国鉄根北線を通すためにに造られた10連アーチ橋は、戦前に造られたコンクリートアーチ橋では最大のものとされています。

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大空町
旧日本海軍 第二美幌航空基地

美幌第二航空基地は、第一飛行場の滑走路が向く北方向へ10kmほど進んだ先、女満別空港の北側に隣接する位置にありました。オホーツク海の流氷や気象観測を行うために、1935年(昭和10年)に旧女満別村の村営競馬場を転用して造られた気象観測用の飛行場を、大日本帝国海軍(旧日本海軍)が徴収、1942年(昭和17年)に航空基地として整備したものです。

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小清水町
旧日本海軍 第三美幌航空基地

第三美幌航空基地は、第一美幌航空基地や第二美幌航空基地から東方向に30kmほど、現在の小清水町にありました。第一基地、第二基地に続き整備されたものですが、その詳細は確認できるものはありません。 こちらは1947年(昭和2 […]

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美幌町
旧日本海軍 第一美幌航空基地

大日本帝国海軍(旧日本海軍)の美幌海軍航空基地は、北方防衛を目的として第一航空基地から第三航空基地まで造られました。うち、第一航空基地は、昭和13年4月に美幌町田中地区で工事を開始。全国から1300人近くの囚人が労働力として投入され、昭和15年10月、美幌海軍航空隊として開隊しました。

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紋別市
鴻之舞鉱山

紋別市の山間にかつて鴻之舞鉱山がありました。1915年(大正4年)に今堀喜三郎氏により金鉱が発見されたことに始まり、1917年に住友(現在の住友金属鉱山株式会社)に経営権が移った後も新たな鉱床が発見され、鉱山は発展、藻別川沿いに鉱山労働者が住む町がいくつも形成され、最盛期には14,000人を超える人口となりました。

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帯広市
旧日本陸軍 帯広第一飛行場

1940年(昭和15年)、帯広市の民間飛行場であった地に旧日本陸軍の飛行隊が創隊され、帯広第1飛行場が創立されました。飛行場の南東付近には、大型のものも含め、53基もの掩体壕が造られました。現在でも1基が帯広の森に残っています。

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標津町
旧日本海軍 標津第二航空基地

標津第二航空基地は、標津村(現在の標津町)の川北地区に計画されたもので、1943年(昭和18年)に測量、1944年(昭和19年)に建設工事が行われました。

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中標津町
旧日本海軍 標津航空基地

標津航空基地は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍(旧日本海軍)が北海道東部~千島の防衛のため、中標津村(現在の中標津町)と標津村(現在の標津町)に建設された基地です。

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釧路町
別保炭鉱

別保炭砿の本格的な採掘は、1896年(明治29年)の山縣勇三郎の山縣炭砿の創業に始まります。その後、1908年(明治41年)に山縣炭砿は釧勝興業に継承。一方、1906年(明治39年)には、大阪から進出してきた大阪鉱業が大阪炭鉱を開鉱。14年の操業後、三井鉱山(株)に買収され、釧路炭鉱が開業しました。

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網走市
さかなの金川のワンコイン海鮮丼(網走市)

「さかなの金川」は網走市の網走中央商店街にある老舗の魚屋さんで、店頭にはオホーツク海で獲れた新鮮な魚介類や自家製の干物、加工品等が並びます。旅人にも人気の商品は「日替わり海鮮丼」。なんとワンコインの500円(税込み)で購入することができるのです。

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