「トーチカ」は、ロシア語で「点・地点」を意味する言葉で、重要な地点を守るためのコンクリート製の防御陣地として使用される軍事施設です。
太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)5月、旧日本軍第7師団(通称:熊部隊)の「沿岸築城整備要領」に基づき第31警備隊及び第32警備隊が、アメリカ軍の本土上陸に備えて構築したもので、同年12月までに大樹町の旭浜に多くのトーチカが作られました。旭浜では水際と内陸部に造られ、大樹町では15基の存在が確認されています。
こちらは内陸に造られたトーチカの1つで、2008年(平成20年)に旭浜沿岸にある町有林の伐採作業中に埋まった状態で発見されたもの。
40年もの間、土の中に埋もれていて保存状態が良かったことから、町では戦争遺跡として保存、見学できるよう周辺を整備しています。
四角形の角を切り落としたような八角形をしていて、高さは3.5m、全周26m、コンクリートの厚さは最大で1.8mあります。
出入口部には柵が設けられているため、中には入れません。
トーチカの平面図。
出入口から入って一旦右側に折れているのは、付近に着弾した爆風を食い止めるための構造だそうです。
出入口の反対側から。
正面と左側の側面に、小さく開いた穴は、中から銃で撃つための「銃眼」。
銃眼は、壁の外側から内側に向かって狭くなるように作られています。
砂浜には、数百メートル間隔でトーチカが並んでいます。
陸側のものと違い、風や雨・雪、波による浸食で土台部が崩れ傾いているものがほとんど。
トーチカ自体も風化が進んでいます。
旭浜漁港近くのトーチカ。
撤去されず、防波堤の一部として使われています。
地元住民もトーチカの構築のために多数動員され、作業は短期間で行われましたが、一度も実戦で使われることなく、戦争は終わりました。