牧の内飛行場は、戦時中、根室市の中心街から6kmほど北東の牧の内地区に作られた大日本帝国海軍(旧日本海軍)の軍用飛行場です。1943年9月に着工、本州から騙され連れてこられた「タコ」と呼ばれる労働者や朝鮮半島から強制連行された人達が労働力として費やされた結果、1945年6月に一部が完成し使用が開始されましたが、すぐに終戦となり、わずか2ヶ月で飛行場としての役目を終えました。
1947年(昭和22年)に米軍によって撮影された航空写真では、飛行場跡の全容が確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
V字型の2本の滑走路が作られる計画でしたが、建設途中で頓挫したため右側の滑走路は短いものとなっています。
滑走路右側に見える凸型の部分は格納庫跡。
2005年(平成17年)に撮影された航空写真でも、滑走路跡が確認できます。
縞状になっているのは、終戦後に進駐軍(GHQ)によって滑走路として使用できないよう爆破された跡です。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
戦後、飛行場跡地の多くは農地となりましたが、現在も滑走路や掩体壕等の痕跡を観ることができます。
コンクリート製の滑走路跡。横縞状に爆破された跡には低木が育っています。
近くで見ると、コンクリート表面は風化し、亀裂が入った隙間から草が生えています。
滑走路跡の一部は、航空自衛隊の管理地となっています。
滑走路脇にある格納庫跡とされる場所。
コンクリート製の基礎のみ残っている状態です。
ネットでよく紹介されている掩体壕は、近くの現役農家の牧草ロール置き場となっていました。
農地内にある別の掩体壕。道路からの観察。
根室半島にはもう一つ飛行場がありました。
場所は、牧ノ内飛行場の南西にある花咲地区。こちらは不時着用の飛行場だったそうです。
1952年(昭和27年)に米軍によって撮影された航空写真では、右方向に続く滑走路跡らしきものが確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
こちらの飛行場跡地も、戦後は農地に転用されています。