大日本帝国海軍(旧日本海軍)の美幌海軍航空基地は、北方防衛を目的として第一航空基地から第三航空基地まで造られました。うち、第一航空基地は、昭和13年4月に美幌町田中地区で工事を開始。全国から1300人近くの囚人が労働力として投入され、昭和15年10月、美幌海軍航空隊として開隊しました。
基地の存在を秘匿するため、美幌を「みほろ」、基地も「M地」と呼ばれていたことが、当時の文献から伺えます。
美幌海軍航空隊は、マレー沖海戦において戦績を上げたことで知られています。
主力機種は九六式陸上攻撃機。中型攻撃機として作られたことから「中攻」と呼ばれていました。
終戦後、進駐軍(GHQ)により滑走路等は爆破され、基地は解体されました。
その後、昭和25年に自衛隊の前身である警察予備隊が発足、昭和27年には保安隊に改称され、2年後の昭和29年に自衛隊の発足に伴い、飛行場跡地は美幌駐屯地となりました。
1948年(昭和23年)に米軍によって撮影された航空写真では航空基地跡の全容が確認できます。
滑走路を横切るようにいくつも線が入って見えるのは、進駐軍によって爆破された箇所。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
2003年(平成15年)撮影の航空写真では、滑走路一帯は森に戻っていますが、V字型の滑走路跡は確認できます。
現在は、隊員の訓練場として使用されているそうです。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
駐屯地内にある資料館「北辰館」には海軍時代の資料も所蔵されています。
陸上自衛隊の駐屯地に海軍の資料が展示されているというのは何か不思議な感じ…。
こちらは駐屯地の所属隊員が造られた第一航空基地の精巧なジオラマ。
戦後も敷地内には格納庫や鍛錬工場等が残っていましたが、現在は撤去され残っていないそうです。
海軍基地時代の庁舎は、駐屯地の庁舎として改修されながら現在も使用されています。
訪問時は耐震工事中のため、様子がわからず…。
こちらは1963年(昭和38年)に撮影されたもの。
外観は当時から変っていないそうです。
正面の庁舎から奥の施設へ通じる「雪中廊」と呼ばれる全長250mの廊下も航空基地時代から残っているもの。
現在は両側に壁がありますが、当時は壁がなく、冬期は雪に囲まれた廊下だったことからこの名が付いたのだそうです。