稚内市の山間部にかつてあった曲渕炭鉱は、北海道の道北にあった天北炭田の中では比較的規模の大きな炭鉱で、稚内炭鉱と宗谷曲渕炭鉱の2つの鉱区からなります。
・稚内炭鉱
1940年(昭和15年)に天北石炭鉱業株式会社(宮崎芳作氏)によって開鉱されたもので、最盛期の1952(昭和27)年には約7万トンを生産し、1958年(昭和33年)に閉山
・宗谷曲渕炭鉱
1940年(昭和15年)に宗谷炭鉱株式会社(三井栄一氏)によって開鉱されたもので、選炭施設の水洗機の火災を直接原因として、1963年(昭和38年)に閉山
採掘された石炭は、選炭施設からトロッコ軌道で天北線(旧北見線)の曲淵駅まで運ばれ、そこから鉄道を使って輸送されていました。
1949年(昭和24年)に米軍によって撮影された航空写真では中央やや右に炭鉱施設やズリ山、そこから左端の曲淵駅に続くトロッコ軌道が確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
曲淵駅は、1989年の天北線の廃止に伴い廃駅に。
その後駅舎は撤去され、跡地には当時の駅舎をイメージしたバス待合所が建てられました。
そのバスの運行も2020年3月末で廃止。
閉山後に炭鉱施設の跡地に建てられた市営住宅は、曲渕地区の過疎化が進み廃墟に。
その奥にはコンクリート製の遺構が。
ホッパーにような形をしていますが、こちらは戦時中に旧日本軍が設けた石炭から液体燃料を製造するための施設跡だそうです。
さらに東に進んだところにあるコンクリート基礎部分は炭鉱施設の遺構。
地面を見ると細かく砕かれた石炭が散乱していました。
約70年後の2018年(令和元年)に撮影された航空写真。
炭鉱施設や炭鉱住宅、鉄道はなくなり、曲渕地区の自然再生が進んでいるのが確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)