1940年(昭和15年)、帯広市の民間飛行場であった地に旧日本陸軍の飛行隊が創隊され、帯広第1飛行場が創立されました。
1944年に旧日本陸軍によって撮影された帯広第一飛行場では、中央に滑走路、北東(右上)方向に基地施設、南東方向(左下)に掩体壕(軍用機の格納庫)が点在しているのが確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
終戦後の1946年(昭和21年)、進駐軍(GHQ)によって滑走路は爆破され、滑走路として使用できなくなりましたが、1954年(昭和29年)の陸上自衛隊発足後、滑走路は補修され、陸上自衛隊帯広駐屯地飛行場として運用が再開されました。
1964年(昭和39年)には民間にも供用が開始され、帯広空港として開港しました。
その後、1981年(昭和56年)にジェット機への対応のための帯広空港の移転(現在の場所へ)に伴い、供用が廃止され、現在の「十勝飛行場」の名称に改められました。
2002年に国土地理院によって撮影された十勝飛行場。
滑走路の南東(左下)方向にあるのは「帯広の森」。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
帯広第1飛行場の南東付近には、大型のものも含め、53基もの掩体壕が造られました。
現在でもそのうちの1基が帯広の森に残っています。
手入れがされておらず、草木に覆われて全体像は写真からではわからないと思いますが、上から見ると底辺のない凸型をしています。
下の写真は凸型の上の狭い部分で、機体後部がここにおさまります。
2013年には、「防風林アートプロジェクト」の事業の一環として、帯広の森の間伐材で製作された飛行機のオブジェがこの掩体壕に格納・展示されていましたが、現在は撤去されありません。