道道13号線の別海町と中標津町の町境近く。
道路脇の牧草地の中にポツンとあるのは、空襲から軍用機を守るための施設「掩体壕」。

戦時中、この一帯には「計根別飛行場」という大日本帝国陸軍(旧日本陸軍)の飛行場群がありました。
飛行場群は、第1飛行場から第5飛行場まであり、うち、第2と第3は偽装飛行場、第5は第1から第4の間の誘導路を拡幅した簡易的なもので、現在は跡形も残っていません。

第4飛行場は、第1飛行場の代替飛行場として造られ、戦後は一旦農地として払い下げられましたが、朝鮮戦争の際に復旧。
1958年に自衛隊に返還され、現在も航空自衛隊の飛行場と陸上自衛隊の別海駐屯地として使用されています。

1948年に米軍が撮影した第4飛行場の航空写真。


出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

そして2005年撮影の航空自衛隊の計根別飛行場。


出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

この飛行場は計根別地区ではなく、別海町の西春別にありますが、この飛行場の歴史から、計根別飛行場の名がそのまま付いています。

第4飛行場(現・計根別飛行場)から第1飛行場へ続く道路は、第5飛行場の滑走路部分が成り変わったもの。

こちらは、1948年に米軍が撮影した第一飛行場跡の航空写真。


出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

第1飛行場の周辺には、最初に紹介した掩体壕以外にも遺構がいくつか確認できます。
道道を越えて1kmほど南東に進んだところには2基の掩体壕が。

第1飛行場の滑走路は残っていませんが、誘導路の一部は「別海フライトパーク」の滑走路に転用されて残っています。

これは格納庫とそこへ通じる誘導路の跡。
先ほど紹介した航空写真で見ると、滑走路(かつての誘導路)から北東にいくつも手のような形が伸びている地形が確認できます。

近くの民家では、格納庫の遺構を敷地の塀に再利用していました。