標津航空基地は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍(旧日本海軍)が北海道東部~千島の防衛のため、中標津村(現在の中標津町)と標津村(現在の標津町)に建設された基地です。うち、中標津に造られたのが第一航空基地で、1944年(昭和19年)に建設されましたが、完成直前に終戦となったため、航空機が配備されることも、航空基地として使用されることもありませんでした。

1947年(昭和22年)に米軍によって撮影された航空写真では航空基地跡の全容が確認できます。

      
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

戦後、1957年(昭和32年)に民間航空会社が飛行場跡を利用した遊覧飛行を開始。その後、1962年(昭和37年)に第3種空港の特定を受け、1964年(昭和39年)から建設工事が行われ、翌年に滑走路長1,200mを有する空港として供用が開始されました。
1970年(年)撮影の航空写真でも、滑走路周辺に基地時代の誘導路や掩体壕の跡がまだ残っているのが確認できます。


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1989年(平成元年)に新滑走路の供用が開始され、空港ビルも現在の木造のものに替わりました。

1990年(平成2年)撮影の航空写真では、旧滑走路の北半分に斜めに覆い被さる新滑走路が確認できます。
滑走路周辺の誘導路や掩体壕は農地に転用。


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2004年(平成4年)撮影の航空写真では、第2駐車場や公園の整備により旧滑走路がさらに削られているのが確認できます。


出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)

こちらは、滑走路エリアに残る旧滑走路跡。

空港に隣接する「道立ゆめの森公園」のイベント広場も旧滑走路を転用したもの。

空港南にある無蓋掩体壕。近づかないと形状を確認するのは難しいです。

地元の中標津郷土資料館の資料によると、空港周辺には、この掩体壕以外にも格納庫や軍用線の路盤、戦闘指揮所、弾薬庫等の遺構が現在も残っているそうです。