国道38号線に戻り、白糠町にある「道の駅しらぬか」恋問に立ち寄り。
摩周湖近くの旅人宿のオーナーさんからおすすめと聞いたのが、十数年前。
ようやく来ました。(笑)
名物の「この豚丼」。
阿寒ポークを使用した炭火焼きの柔らかい肉とボリュームあるのが特徴。
写真は4枚乗ったもので、100円増しで6枚(うち1枚はご飯の間に入る)になるので、そちらほうがおすすめなのですが、4枚のものを食べるので精一杯。
こちらはラード100%で揚げたというザンギ「こい唐(から)」。
個人的には…インパクトのない普通の唐揚げでした。
道道53号線を北上。
途中、鶴居村にある「湿原温泉 民宿つるい」に立ち寄り。
浴槽はすべてステンレス製のミルクタンクを加工したものが使われています。
モール泉で、大量の湯がもったいないくらい掛け流されています。
洗い場のカランやシャワーから出る湯も温泉という贅沢さ。湧出量は毎分330リットルだとか。
弟子屈町に入りました。
久しぶりに摩周湖へ。世界有数の透明度を誇る湖です。
駐車場代がもったいないので、無料かつ人の少ない第三展望台へ。
気温が30度を超えているのでだいぶ靄っていますが、それでも相変わらずのいい景色です。
奥にある山は摩周岳。
最近登ってないので、そろそろ登山したい病が。
川湯方面に降りてきました。
野村川湯YHの廃墟を潰してできた高級カフェ「アズール」は廃墟になっていました。
歴史あるYHの廃墟のままでよかったのに…。
川湯温泉街に来たらここに立ち寄らないわけにはいきません。
川湯温泉共同浴場。pH1台の強酸性の温泉です。
左側は源泉が掛け流されている浴槽で、右側は水風呂です。
よく「いい温泉だ~」と水風呂に浸かって言っている入浴客がいますが、右の浴槽は水風呂なのでお間違いのないように。
屈斜路湖畔沿いを走り砂湯を通過。
連休だとこんなにテント張る人がいるのですね、びっくり。
臨時駐車場もできていました。
かつて宿泊施設もあったイタリアンレストラン「鴟(ふくろう)のねじろ」は、その後、「ランチ・デリ Hale」としてランチ営業をしていましたが、2014年に閉館。空き家になっていました。
不動産業者のウェブサイトを見ると、4800万円で売りに出されていました。
コタンのいつもの温泉宿へ。
私も1971年7月に北海道一周旅行(当時カニ族と言われた)をした時に野村川湯YHに一泊いたしまた。
このブログを見たら懐かしくなり投稿いたしました。このYHも忘れられない思い出があります。
何分50年前の事ですのでYHの全体像は忘れましたが、別棟にあった風呂が建物・浴槽とも木造りで、浴槽は3畳?位の広さがあり太めの管から硫黄泉が所謂源泉かけ流し状態でどくどくと出ていました。
当日は3時頃にYHに着いたので空いてるうちにと思い、行ったら誰もいない一人独占状態でゆったりと大好きな硫黄の温泉を満喫してました。
当時のYHは人気があり一人で風呂に入れるなんて事はありませんでしたので非常にインパクトがあり鮮明に覚えています。
ただ15年位前に妻と近くを旅行で通った時、斜めになり朽ちたかけた「野村川湯YH」の看板を見てしまいました。とても悲しい気持ちと時代の流れを感じました。
それとこのブログの中にありましたカムイワッカ湯の滝にも行きました。五湖から歩いて行き、段の中程のちょうどよい湯加減の滝つぼに一人寝そべって浸かり、オホーツクの青い海と空それとオオワシの旋回飛行を眺めていました。これってある意味結構贅沢なシチュエーションだったと思います。
その後観光地化したようですが当時はここまで来る人は少なかったです。最近は何かで立ち入り禁止とか聞いていましたが、また再開されるようで良かったです。
どちらも遠い青春の思い出深い旅先です。こんな旅を出来れば歩いてまたしてみたいですが古希を過ぎた者には難しくなりました。
だらだらと長い文になり大変失礼しました。
弟子屈町の硫黄山の近くにあった野村川湯YHは、1990年に休館しそのまま閉館。
40年以上経ち、当時の様子は宿泊経験者からしか知ることができなくなりました。
ブログ閲覧、貴重な記録ありがとうございました。
野村川湯温泉ユースホステル、1970年の7月北海道旅行の際に一泊させていただきました。
今から50年も前のこと、詳しいことは殆ど忘れてしまいました。
覚えているのはユースホステルで宿泊手続をとってザックを部屋に置いた後に、ユースホステルにあったグラブを使って一緒に旅した友人とキャッチボールをしたことです。
夕食後のミーティングは、旅の疲れが出たのでしょうね、パスして部屋で熟睡してしまったことを覚えているのみです。
あの頃に出会ったホステラーさん達に出逢えるものならもう一度出逢ってみたいです!!
野村川湯温泉YHが営業していた頃に宿泊された方からメッセージをいただけるとはびっくりです。
未舗装の道路や鉄道路線も多々あった頃の北海道旅は楽しかったことと思います。