以前、赤信号で車を止めた際にふと目に入った交差点名「海軍橋」。

付近にそれらしきものは見当たらず、なんだろねーとか言いながら通過していました。

再び、知多半島を訪れることとなり、橋の名を思い出して調べてみると、かつて海上飛行場があり、飛行場と陸地を結んでいた橋の名称であることがわかりました。(下の地図の○印を付けた部分)

出典:国土地理院ウェブサイト(当該ページのURL

せっかくなので、周囲を探索。

海軍橋。途中で拡張されたため、北側半分と南側半分で構造が異なっています。
こちらは南側の増設されたほう。

そしてこちらが元からある北側のほう。
欄干と橋が当時のものです。

豊橋市の資料によると、この海上飛行場は「豊橋海軍航空隊基地」で、5年かけて豊橋沖の海を埋め立てて造られた八角形の飛行場(1943年完成)で、1500mの3本の滑走路と戦闘機用の1000mの2本の滑走路があり、当時国内唯一の海上飛行場だったそうです。

1946年に撮影された航空写真では、八角形をした航空基地と半島に掛けられた橋が確認できます。

出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

海上飛行場というと、関西空港や中部国際空港が浮かびますが、これらができる50年以上も前に存在していたとはびっくりですね。

戦後は、工業団地としてさらに埋め立てられたため、現在は島の形も変わってしまっていますが、陸地から続く海軍橋の終点、海上飛行場入口にあたるトピー工業の正門付近には、道路脇の欄干がそのまま残っています。

工場の敷地内に何か遺構が残っていそうで気になります。

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