山口県下関市にある島で正式名称は「船島」。
島の形が船に似ていることが由来です。
1961年(昭和36年)に撮影された航空写真で見ると、上側部分が船の形をしているのが確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
1612年(慶長17年)に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘が行われ、敗れた小次郎の流派「巌流」をとって、巌流島と呼ばれるようになりました。
展望広場にある武蔵・小次郎の像。
2002年の小次郎像完成から1年遅れで武蔵像が完成しているのは、決闘に遅刻したという史実にあわせてとの話も。
武蔵が島に渡るときに使った小舟の遺構…ではなくレプリカ。
決闘が行われた当時の巌流島の面積は17,000平米でしたが、その後、明治から大正にかけて、対岸の三菱重工業によって埋め立てが行われ、当時の6倍もの面積になりました。
島の大部分は、三菱重工業の私有地のため立入禁止となっています。
対岸の三菱重工業下関造船所では、名門大洋フェリーの新造船「フェリーふくおか(2代目)」が建造中。
その隣には、フェリーさんふらわあ株式会社の新造船「さんふらわあくれない」の姿も。