横浜市金沢区の野島に残る掩体壕(空襲から軍用機を守るための施設)の遺構。
島の東部に立つ野島山(標高約57m)を東西に貫通するトンネルを堀って造られた掩体壕で長さは260mもあります。
1946年(昭和21年)に米軍によって撮影された航空写真では、右から中央にかけて追浜飛行場、左上に野島が確認できます。
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL)
中央部は素掘りの状態ですが、出入口からそこまでの間は、幅約20m、高さ7mもの広さがあり、トンネル状のコンクリートが打設されています。
一般的な掩体壕は、軍用機1機を格納する程度の大きさをしていますが、こちらの掩体壕は、近くで同時に掘削されていた夏島掩体壕とあわせて、100機もの小型軍用機を格納する計画で造られており、現存する掩体壕の中でも国内で最大規模と言われています。
上の写真は海側(東側)で、こちらは西側の様子。
木々に覆われ輪郭もわかりにくくなっています。
案内板で紹介されている当時の作業風景。
工事は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に進められていましたが、実際に使用されることはなく戦争は終わりました。