東京都八王子市にある地下壕。
太平洋戦争末期に旧日本陸軍によって1944年に掘削より開始された壕で、未完成の2地区を含めると面積約24,000平方メートル、総延長10kmにも及びます。
元々は旧陸軍の倉庫として造られたものでしたが、空襲により被害を受けた中島飛行機株式会社(スバルの前進)の武蔵製作所の疎開先として、1945年2月より零戦等の軍用機のエンジンを作るための工場に使われました。
しかし、壕内は湿度が高かったため、作業員が健康を害したり、工作機械も錆による腐食がひどく、工場としてはほとんど機能しなかったそうです。
民家の裏にある入口から壕内へ。
見学用に整備されていないため、壕内は持参の電灯がないと真っ暗。
さらに地面は素掘りの状態のため、見学中に転倒する人も。
浅川地下壕の保存を進める会の中田さんから所々で説明。
工作機械等はGHQにより接収されたため、当時の様子がわかるものは残っていません。
東京大学地震研究所の地震計が設置されていました。
入口から近い所にある鉄骨組みは、当時からあるものではなく、1999年にダイナマイトなど3トンもの火薬が発見された際に、陸上自衛隊がそれらを搬出するために設けられたもの。
近くにある別の壕入口。
こちらは鉄格子で封鎖されています。
2022年3月現在、「浅川地下壕の保存を進める会」が月1回ガイドツアーを開催しています。