積丹半島の島武意海岸の南東に、かつて浜婦美という集落がありました。
江戸時代末期に漁村として拓かれ、1965年(明治29年)には町立美国小学校浜婦美分校も開港、ニシン漁が最盛となった大正時代には60戸にまで世帯が増えました。
しかし、ニシン漁の衰退と共に人口は減少し、集落は衰退。小学校も昭和40年に廃校し、その後住む人もいなくなり、廃村となりました。
集落跡へのアクセスは、カヤック等での海からが主ですが、国土地理院の地形図と近くの旅人宿オーナー作成のガイドブックを参考に陸路で行ってみました。
道道からの入口は数十メートルほどは轍があるものの、その先は人の背丈以上もある藪。
藪を漕いで進むしかありません。
しばらく進むと山道らしき道が現れました。
しかし、このような道が都合良く続くことはなく、途中では藪漕ぎや沢を歩いて進みます。
さらに進むと海岸が見えてきました。
見渡す限り森。60戸の住戸があった集落はすっかり森に戻っています。
つづら折りの急な斜面を下ると海岸に到着。
出発点から約30分ほどかかりました。
沖合には朝出航した新日本海フェリーのフェリーの姿が。
「らいらっく」か「ゆうかり」ですね。
集落跡の中で、唯一建物の姿を残しているのがこの番屋跡。
付近はマムシが生息しているそうなので、近づかないのが無難。
海岸沿い左手奥には、番屋らしき建物の跡と袋間が確認できます。
海岸は、波の力で角が丸まった玉砂利で埋め尽くされています。
近くの西の河原のものほど大きくはありませんが、波が押し寄せ、引く力でカラカラと音を立てて転がっています。
玉砂利の中には透明度の高いな石が含まれています
ガラス片が波に揉まれて削られ丸くなった自然のビーチグラス(シーグラス)です。
波と玉砂利の音を聞きながらのんびり過ごすには良い場所です。(2007年訪問)