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釧路町
別保炭鉱

別保炭砿の本格的な採掘は、1896年(明治29年)の山縣勇三郎の山縣炭砿の創業に始まります。その後、1908年(明治41年)に山縣炭砿は釧勝興業に継承。一方、1906年(明治39年)には、大阪から進出してきた大阪鉱業が大阪炭鉱を開鉱。14年の操業後、三井鉱山(株)に買収され、釧路炭鉱が開業しました。

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中標津町
旧日本海軍 標津航空基地1

標津航空基地は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍(旧日本海軍)が北海道東部~千島の防衛のため、中標津村(現在の中標津町)と標津村(現在の標津町)に建設された基地です。

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斜里町
越川橋梁

斜里町と標津町を結ぶ国道244号線を走っていると、根北峠の少し斜里側(北側)に道路を横切る形で建っているコンクリート製の造形物が目に止まります。越川橋梁は通称名で、正式名称は「第一幾品川橋梁」。旧国鉄根北線を通すためにに造られた10連アーチ橋は、戦前に造られたコンクリートアーチ橋では最大のものとされています。

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新得町
バッタ塚

1880年(明治13年)8月、突然十勝の奥地にトノサマバッタの大群が発生し、日高から胆振に入り、一群は海岸沿いに蛇田方面に、一群は札幌方面を襲いました。このバッタが大発生した時に、卵や幼虫を積み上げて、その表面に土を厚く盛り上げて打ち固めて生き返らないようにしたものが「バッタ塚」と呼ばれるものです。

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帯広市
旧日本陸軍 帯広第1飛行場

1940年(昭和15年)、帯広市の民間飛行場であった地に旧日本陸軍の飛行隊が創隊され、帯広第1飛行場が創立されました。飛行場の南東付近には、大型のものも含め、53基もの掩体壕が造られました。現在でも1基が帯広の森に残っています。

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豊富町
日曹炭鉱

日曹炭鉱は、豊富町の中心街から東に15kmほど離れた山奥にあった炭鉱で、道北の炭鉱群(天北炭田)の中では最も規模が大きいものでした。1936年(昭和11年)に日曹鉱業株式会社が鉱区を買収し、翌年より第一坑で採炭が開始されました。

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稚内市
曲渕炭鉱

曲渕炭鉱は稚内市の山間部にかつてあった炭鉱で、北海道の道北にあった天北炭田の中では比較的規模の大きな炭鉱で、稚内炭鉱と宗谷曲渕炭鉱の2つの鉱区からなります。いずれも1940年(昭和15年)に開鉱、稚内炭鉱は1958年(昭和33年)に、宗谷曲渕炭鉱は1963年(昭和38年)に閉山しました。

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根室市
根室国後間海底電信線陸揚施設

根室市を流れるハッタリ川の河口、ハッタリ浜と呼ばれる海岸沿いに古びた施設があります。この施設はかつて、根室と北方四島の国後島を繋ぐ海底ケーブルの陸揚施設として使われていた建物跡で、明治時代に旧逓信省により設営されたとされています。

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白糠町
石炭岬

ペリーが黒船で来航した翌年の1854年に、徳川幕府は日米和親条約を締結し下田と箱館を開港。箱館奉行所は、開港に伴う外国船への燃料供給のため、1857年年に現在の白糠町にある岬「シリエト」に石炭の採掘場を開きました。これが北海道での最初の炭鉱開発で、いつしか石炭岬と呼ばれるようになりました。

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白糠町
新白糠炭鉱

戦後復興のための石炭増産の動きの中で、白糠でも旧坑跡地での開坑を含め、新坑が次々を開かれました。
新白糠炭鉱もその一つで、1946年(昭和21年)より旧白糠炭鉱跡地で個人で手掘り採炭を行っていた今野滝雄氏が、1947年(昭和22年)に三菱鉱業株式会社から鉱区使用権を得て採炭を開始しました。

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