知る

斜里町
越川橋梁1
越川橋梁新着!!

斜里町と標津町を結ぶ国道244号線を走っていると、根北峠の少し斜里側(北側)に道路を横切る形で建っているコンクリート製の造形物が目に止まります。越川橋梁は通称名で、正式名称は「第一幾品川橋梁」。旧国鉄根北線を通すためにに造られた10連アーチ橋は、戦前に造られたコンクリートアーチ橋では最大のものとされています。

続きを読む
新得町
バッタ塚01
バッタ塚

1880年(明治13年)8月、突然十勝の奥地にトノサマバッタの大群が発生し、日高から胆振に入り、一群は海岸沿いに蛇田方面に、一群は札幌方面を襲いました。このバッタが大発生した時に、卵や幼虫を積み上げて、その表面に土を厚く盛り上げて打ち固めて生き返らないようにしたものが「バッタ塚」と呼ばれるものです。

続きを読む
帯広市
帯広第1飛行場01
旧日本陸軍 帯広第1飛行場

1940年(昭和15年)、帯広市の民間飛行場であった地に旧日本陸軍の飛行隊が創隊され、帯広第1飛行場が創立されました。飛行場の南東付近には、大型のものも含め、53基もの掩体壕が造られました。現在でも1基が帯広の森に残っています。

続きを読む
豊富町
日曹炭鉱01
日曹炭鉱

日曹炭鉱は、豊富町の中心街から東に15kmほど離れた山奥にあった炭鉱で、道北の炭鉱群(天北炭田)の中では最も規模が大きいものでした。1936年(昭和11年)に日曹鉱業株式会社が鉱区を買収し、翌年より第一坑で採炭が開始されました。

続きを読む
稚内市
曲渕炭鉱1
曲渕炭鉱

曲渕炭鉱は稚内市の山間部にかつてあった炭鉱で、北海道の道北にあった天北炭田の中では比較的規模の大きな炭鉱で、稚内炭鉱と宗谷曲渕炭鉱の2つの鉱区からなります。いずれも1940年(昭和15年)に開鉱、稚内炭鉱は1958年(昭和33年)に、宗谷曲渕炭鉱は1963年(昭和38年)に閉山しました。

続きを読む
白糠町
新白糠炭鉱01
新白糠炭鉱

戦後復興のための石炭増産の動きの中で、白糠でも旧坑跡地での開坑を含め、新坑が次々を開かれました。
新白糠炭鉱もその一つで、1946年(昭和21年)より旧白糠炭鉱跡地で個人で手掘り採炭を行っていた今野滝雄氏が、1947年(昭和22年)に三菱鉱業株式会社から鉱区使用権を得て採炭を開始しました。

続きを読む
網走市
博物館網走監獄01
博物館網走監獄

明治維新後、ロシアの侵攻に備えることを目的として、北海道開拓が政府の急務となりました。その一環として、網走と北見峠を結ぶ中央道路を開削することになり、労働力として、受刑者をあてがうために設けられたのが網走監獄でした。

続きを読む
紋別市
上藻別駅逓01
上藻別駅逓

駅逓とは、北海道が本格的に開拓された明治時代に整備された、開拓者や公務で来た旅行者等のために馬と共に宿泊できる場所を提供したり、所有する人馬で次の駅逓まで荷物の輸送をしたり、郵便物の取り次ぎ業務を行う制度で、これらを行っていた施設は「駅逓所」と呼ばれていました。

続きを読む
紋別市
鴻紋軌道01
鴻紋軌道

鴻紋軌道は、紋別の街から、かつて山奥に存在した鴻之舞鉱山へ生活物資や資材を運ぶために使用された軽便鉄道です。鉱山から産出された鉱石を運ぶために整備された鉄道でしたが、完成した1943年は戦時統制で鉱山は休山。戦後1947年に鉱山が復興したものの、周辺道路の整備により交通手段は自動車へ…1948年に本来の役目を果たすことなく廃止されました。

続きを読む
白糠町
本岐炭鉱01
本岐炭鉱

本岐炭鉱は白糠町の中庶路地区にあった炭鉱で、開鉱は1924年(大正13年)。昭和に入り、本岐炭鉱より2年先に庶路炭鉱での営業採炭を開始していた明治鉱業に1941年(昭和16年)に買収され、白糠町の出炭量も増加しました。

続きを読む