日曹炭鉱は、豊富町の中心街から東に15kmほど離れた山奥にあった炭鉱で、道北の炭鉱群(天北炭田)の中では最も規模が大きいものでした。
1936年(昭和11年)に日曹鉱業株式会社が鉱区を買収し、翌年より第一坑で採炭が開始されました。

1970年(昭和45年)に撮影された航空写真では、中央の選炭施設を挟むように炭鉱街があるのが確認できます。

日曹炭鉱02
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

こちらは日曹炭鉱出身者有志によって炭鉱跡地に掲示されている坑外図。

日曹炭鉱03

採掘した石炭や人、物資を輸送するために国鉄豊富駅からエベコロベツ川に沿って専用の鉄道「日曹炭鉱天塩工業所専用鉄道」が敷かれました。
1940年(昭和15年)に豊富駅から一坑駅までの16.7km間が開通、1945年(昭和20年)に一坑駅から三坑駅まで3.3km延長され、全線が開通しました。

一坑駅と三坑駅の間にある新町地区から東に外れた所に残る転車台跡。
円形に窪んだコンクリート構造物が草木に埋もれているのが確認できます。

日曹炭鉱04

第一坑の閉坑後は第三坑が主力となり、1950年代前半の最盛期には年間17万トンの石炭を産出しましたが、坑内での火災が頻発し、1967年(昭和42年)に閉坑。転車台のほうも使われなくなったそうです。

その後、第一坑付近の熊の沢坑、二の沢坑を開坑するも、他の炭鉱と同様に石炭から石油・天然ガスにエネルギー資源を転換する時代の流れにより石炭需要が停滞し、1972年(昭和47年)に閉山。
専用鉄道のほうも、炭鉱の閉山に伴い全線が廃止となりました。

閉山により、炭鉱街に住んでいた人達は街を離れ、人はいなくなりました。
炭鉱住宅のあった新町地区跡。自然再生が進んでいます。

日曹炭鉱05

2017年(平成29年)に撮影された航空写真では、街や炭鉱があった所が、縞状に植林され森に戻っているのが確認できます。

日曹炭鉱06
出典:国土地理院Webサイト(当該ページのURL

専用鉄道跡の一部、豊富町自然公園から豊富温泉付近までの5.5㎞の区間は、1974年に自転車道「豊富町サイクリングロード」として整備されています。

日曹炭鉱07

日曹炭鉱08

1997年(平成9年)には、炭鉱街の中心だった本町地区跡に記念碑が建てられました。

日曹炭鉱09

記念碑の傍らには、街が賑わっていた頃の写真が。

日曹炭鉱10