常紋トンネルは、JR北海道の石北本線の生田原駅と金華信号場(旧・金華駅)の間にある全長507mのトンネルです。常紋の名は、2006年に北見市に合併した「常呂郡」留辺蘂町と2005年に合併して遠軽町となった「紋別郡」生田原町に由来します。
紋別側の生田原駅。
北見側の金華信号場
この区間は勾配が大きく、かつ急カーブが続くことから、石北本線の難所の一つとされています。
この常紋峠を越えるために必要なものとして、1912年からトンネルの掘削工事が始まりました。
トンネルが開通したのは1914年(大正3年)。3年を要する難工事となりました。
(Photo:Yamamoto)
工事の労働力として使われたのは、道内の集治監(監獄)から集められた囚人や道内に入植した開拓民、そして、本州から騙されて連れてこられた「タコ」と呼ばれる労働者達でした。
タコ労働者は、無報酬で朝から晩まで長時間の非人間的な労働を強いられ、わずかな食事しか与えられず、栄養失調で病気に罹っても治療されることもなく、逃げようとした者は、生き埋めや火あぶりといった見せしめを受け、工事完了までの間に100数十人の死者を出したと言われています。
1968年(昭和43年)に発生した十勝沖地震でトンネル壁面の一部が損傷。
その改修工事を翌々年(1970年)から開始したところ、トンネル内の待避豪の煉瓦壁の奥から、人骨が立ったままの姿で発見され、タコ部屋労働者が人柱にされたという伝説が事実であったことが明らかとなりました。
(Photo:Yamamoto)
その後も遺骨は多数発掘され、人骨の発見から10年経過した1980年(昭和55年)11月には、金華信号場(かつての金華駅)西方にある高台に「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられ、供養されています。