2021年5月24日
1989年に廃線となった国鉄天北線に「飛行場前駅」という名の駅がありました。天北線の線路が通っていた部分は、現在はサイクリングロードになっていますが、道路脇には駅跡が残っていて、「飛行場前駅」も笹に埋もれた木造のホームと駅標の枠が確認できます。
2021年5月26日
明治維新後、ロシアの侵攻に備えることを目的として、北海道開拓が政府の急務となりました。その一環として、網走と北見峠を結ぶ中央道路を開削することになり、労働力として、受刑者をあてがうために設けられたのが網走監獄でした。
2021年5月25日
駅逓とは、北海道が本格的に開拓された明治時代に整備された、開拓者や公務で来た旅行者等のために馬と共に宿泊できる場所を提供したり、所有する人馬で次の駅逓まで荷物の輸送をしたり、郵便物の取り次ぎ業務を行う制度で、これらを行っていた施設は「駅逓所」と呼ばれていました。
2021年5月25日
鴻紋軌道は、紋別の街から、かつて山奥に存在した鴻之舞鉱山へ生活物資や資材を運ぶために使用された軽便鉄道です。鉱山から産出された鉱石を運ぶために整備された鉄道でしたが、完成した1943年は戦時統制で鉱山は休山。戦後1947年に鉱山が復興したものの、周辺道路の整備により交通手段は自動車へ…1948年に本来の役目を果たすことなく廃止されました。
2021年5月25日
本岐炭鉱は白糠町の中庶路地区にあった炭鉱で、開鉱は1924年(大正13年)。昭和に入り、本岐炭鉱より2年先に庶路炭鉱での営業採炭を開始していた明治鉱業に1941年(昭和16年)に買収され、白糠町の出炭量も増加しました。
2021年5月24日
大日本帝国海軍(旧日本海軍)の美幌海軍航空基地は、北方防衛を目的として第一航空基地から第三航空基地まで造られました。うち、第一航空基地は、昭和13年4月に美幌町田中地区で工事を開始。全国から1300人近くの囚人が労働力として投入され、昭和15年10月、美幌海軍航空隊として開隊しました。
2021年5月23日
牧の内飛行場は、戦時中、根室市の中心街から6kmほど北東の牧の内地区に作られた大日本帝国海軍(旧日本海軍)の軍用飛行場です。
2021年5月24日
道道13号線の別海町と中標津町の町境近くの一帯には、かつて「計根別飛行場」という大日本帝国陸軍(旧日本陸軍)の飛行場群がありました。
2021年5月24日
美幌第二航空基地は、第一飛行場の滑走路が向く北方向へ10kmほど進んだ先、女満別空港の北側に隣接する位置にありました。オホーツク海の流氷や気象観測を行うために、1935年(昭和10年)に旧女満別村の村営競馬場を転用して造られた気象観測用の飛行場を、大日本帝国海軍(旧日本海軍)が徴収、1942年(昭和17年)に航空基地として整備したものです。
2021年5月23日
標津第二航空基地は、標津村(現在の標津町)の川北地区に計画されたもので、1943年(昭和18年)に測量、1944年(昭和19年)に建設工事が行われました。